日本のスポーツ界は変化への「体感情報」を持った人材が圧倒的に少ない
ポルトガル語辞典の「JUDOCA」の項に「柔道家」とある。「じゅうどうか」ではなく「ジュドッカ」と発音する。日本生まれブラジル育ちの友人が「そうだったの」と驚いたので、逆に驚いたものだ。
1980年代前半、正力杯国際学生柔道大会でのこと。中南米のジュドッカがソックスのまま畳に上がった。審判に「待て待て」と注意された学生は「いけねえ」と笑いながらソックスを脱ぐと丸めてコーチに放り投げた。見とがめた審判が「コラッ!」と怒鳴ると、きょとんとしていた。
講道館の全柔連と東海大・松前重義総長率いる学柔連が対立していた頃で、武道館は松前・正力の盟友の力で建てられたのだ。カラー道着の紛糾などを経て、柔道はずいぶん変わり面白くなった。面白くするために工夫されたのだ。
古代オリンピックまで遡るレスリングはおいそれといじれないが柔道は変えられる……それが面白くないと感じる人は多いだろう。
■「誤審」と騒ぐ以前の問題
オリンピックが終わるたびに誤審、誤審という声を聞く。審判がヘボ、新ルールはダメーーむなしい叫びに聞こえる。