消えゆくベーブ・ルース「日本初本塁打」のナゾ…地方の山奥球場で描いた120m級の特大アーチ
ルースは当時、39歳9カ月。超高齢になっていた。このシーズンは22本塁打しか打てなかった。所属するヤンキースは「助監督にならないか」と米国出発前に伝えていた。ところが本人は「監督にしてほしい」と球団に伝えており、拒否すればヤンキースに残れない状況で、日本ではずっと悩んでいた。
そんな精神状態だったところから“函館騒動”を引き起こしている。激しい雨天のため日本は「中止」を申し出たが、ルースは「試合をやる。中止なら次の試合から出ない」と意地を張った。大物のわがままに米国チームは困り切ったそうである。
帰国後、ヤンキースは監督の椅子は出さなかった。翌年2月、球団は「故郷に戻れ」とボストンのブレーブス(現アトランタ)にトレードして決着となった。“打てないルース”は必要なかったのである。