平然と球場を出入りする「反社」が選手をボコボコに…プロ野球選手会は八百長防止をきっかけに発足した
歌舞伎に「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」の名セリフがある。大悪党で釜ゆでの刑に処された石川五右衛門の辞世の句だが、プロ野球の世界でも悪さはいまだに生きている。
選手会は「八百長」(敗退行為)の防止をきっかけに発足した歴史を持つ。太平洋戦争が終わり、プロ野球が復活した1946年のことだ。
この頃、今でいう反社の人物が平然として球場に出入りしていた。そこで選手を脅かし、殴ったりするなど異常な状態にあった。八百長試合に失敗した選手への“お礼参り”だった。
戦禍のあとの日本はその日暮らしだったが、プロ野球選手も多くは貧しく、生活のために野球を売った。南海のプレーイングマネジャー山本一人(のち鶴岡)などは、二塁から不可解なプレーを確認しやすい一塁にポジションを移したという。婦人警官に疑惑の選手を尾行するよう頼んだ球団もあった。
「これでは未来のプロ野球はない」と、各チームの主力が集まった。
巨人の川上哲治と千葉茂、阪神の若林忠志と藤村富美男、南海の鶴岡、阪急の青田昇と野口二郎、中日の杉浦清ら錚々(そうそう)たるメンバーだった。ここで選手会の発足が決まり「八百長選手は除名」などの規則を取り入れた。昭和の改革だった。