「横丁と路地を歩く」小林一郎著
オフィスや洒落たレストラン、ブティックなどが並ぶ表通りが街のパブリックな表の顔なら、表通りから一本奥に入った横丁や路地はプライベートな裏の顔だと著者は言う。東京・神楽坂のかつての料亭街を通る「かくれんぼ横丁」が、道が途中から極端に狭まり、折れて進むのは、後ろの人にどの店に入ったか分からなくする工夫だそうだ。一方で、路地には肩書を外して人と人が触れ合う昔ながらのコミュニティーが息づいている。
そんな横丁・路地の魅力の秘密を探る街歩きエッセー。横丁や路地の定義や誕生の歴史的背景などの基礎知識から、一度は歩いてみたい全国の各横丁のガイドまで、豊富な写真とともに紹介する。
東京の横丁や路地のルーツをたどると、徳川家康による江戸のまちづくりにさかのぼる。江戸は、京都を手本に一街区60間(約118メートル)の正方形の町割りが基本になっていた。その街区を取り囲む街路の通りと通りを通すのが横丁であり、路地は、通りに並んだ店と店の間を抜けて裏長屋へ通じる細い通路のことだった。
そうした成り立ちを念頭に、現在の街並みを歩くと、江戸時代の名残が随所に感じられる。銀座7丁目のビルとビルの間の人が1人通るのがやっとの路地、関東大震災後の大正・昭和の建築物が数多く残る浅草・鳥越の「おかず横丁」、今や「ハラルフードの横丁」と化し異国情緒満点の新宿・百人町文化通り界隈、そして江戸からのコミュニティー形態が踏襲された町屋敷が残る本郷の菊坂界隈など、都内各所をはじめ、名古屋、京都、大阪の横丁・路地を散策。