「マイ・フレンド 高田渡青春日記1966─1969」 高田渡、高田漣著

公開日: 更新日:

 フォーク・ミュージシャン高田渡は、1968年、「自衛隊に入ろう」で注目を浴び、翌年レコードデビュー。以来約40年間歌い続け、2005年、56歳で亡くなった。

 17~18歳の青春期に、高田は日記を書いていた。「マイ・フレンド」と名づけられた数冊のノートは、横書きの細かい文字で埋め尽くされている。そこには、アメリカのフォーク・ソングに魅せられた青年が、フォーク歌手になると決意し、手探りで歩きはじめる道のりが克明に記されている。

 押し入れの奥にしまわれていたこの古いノートは、没後10年を経て、ミュージシャンである息子・高田漣の手で世に出ることになった。

 注釈はなく、表記も傍線も原文のまま。若き高田の心の動きがそのまま伝わってくる。

 書き出しは1966年3月13日。当時の高田は東京・三鷹に住み、代々木にある印刷工場で働いていた。会社にはしばしば遅刻、時々無断欠勤。気持ちはひたすらフォーク・ソングに向いていた。レコード店や楽器店を歩き回り、バンジョーを手づくりし、民衆の歌のあり方に思いを巡らせる。フォーク・ソング評論家の家を探し当てていきなり訪ねたかと思うと、大好きなフォーク・シンガー、ピート・シーガーに英語で手紙を書き送る。

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  2. 2

    “氷河期世代”安住紳一郎アナはなぜ炎上を阻止できず? Nキャス「氷河期特集」識者の笑顔に非難の声も

  3. 3

    不謹慎だが…4番の金本知憲さんの本塁打を素直に喜べなかった。気持ちが切れてしまうのだ

  4. 4

    バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた

  5. 5

    大阪万博の「跡地利用」基本計画は“横文字てんこ盛り”で意味不明…それより赤字対策が先ちゃうか?

  1. 6

    大谷翔平が看破した佐々木朗希の課題…「思うように投げられないかもしれない」

  2. 7

    大谷「二刀流」あと1年での“強制終了”に現実味…圧巻パフォーマンスの代償、2年連続5度目の手術

  3. 8

    国民民主党は“用済み”寸前…石破首相が高校授業料無償化めぐる維新の要求に「満額回答」で大ピンチ

  4. 9

    野村監督に「不平不満を持っているようにしか見えない」と問い詰められて…

  5. 10

    「今岡、お前か?」 マル秘の “ノムラの考え” が流出すると犯人だと疑われたが…