日本政治の右傾化の底の浅さが分かる
「近代天皇論――『神聖』か、『象徴』か」片山杜秀/島薗進著 集英社新書 2017年1月
天皇の生前退位問題をきっかけに、さまざまな天皇論の本が出たが、評者が読んだ中では本書がもっとも読み応えがあった。島薗氏が、宗教学の通説的な立場から近代の天皇と神道について解説するのに対して、政治思想史専門家である片山氏が鋭く切り込む。
特に片山氏による戦後の右翼批判が厳しい。〈戦前と戦後の思想状況を比べると、右翼の側を見ても、大正時代から昭和初期にかけての右翼のほうが、もちろん彼らは歴史に対しては責任を有していると思いますが、思想的にはたいへん豊かな広がりを有していたと思います。/(中略)権藤成卿の自治主義や橘孝三郎の農村論は、肥大しすぎ、ついに地球温暖化まで招いた現代文明への警鐘として、現在も有効でしょう。普遍的な思考をしようとしていたし、多様性もあった。もちろんトンデモ思想家もたくさんいましたけれども。/翻って戦後の右翼は、社会主義に対して「国体を護持する」と言うのに精一杯で、現状を打破するような思想性を生み出せないまま、ずるずる来てしまった。大正・昭和初期の右翼的思想世界の圧倒的広がりと、現在のネット上で右翼と称されているものの言論の中身を比べると、なぜ同じ右翼なのか理解しがたいほどです。〉
ネット右翼だけでなく、実際に行動している安倍首相を支持する右翼的な人々も実にだらしがない。「森友学園」の騒動は、客観的に見れば安倍応援団の右翼勢力(なぜかこの人たちは右翼という言葉を嫌がり、保守と自称する)の内輪もめだ。そこには思想性もなければ、右翼が重視するはずの人間関係の尊重もない。こういう人たちは、過剰に天皇の名を口にし、神道の重要性について語るが、中身がほとんどない。本書で展開されている島薗氏と片山氏の議論をよく理解することを通じて、現下日本政治の右傾化の底の浅さを認識することができる。
日本では危機の時代に天皇に依拠した世直し運動が必ず起きる。ネット右翼や安倍応援団の保守とは異なる次元で、現在、徐々に右翼的なエネルギーが日本社会でも蓄えられつつあると評者は認識している。その暴発を防がなくてはならない。★★★(選者・佐藤優)