眼の確かさに思わず笑み

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「あの頃」武田百合子著、武田花編/中央公論新社 2800円+税

 埴谷雄高から、「天衣無縫の文章家」と称えられた武田百合子が亡くなったのは1993年5月27日。もう四半世紀近く経つ。それでも「富士日記」をはじめとするその著作はいまだに読み継がれている。とはいえ、本格的に文筆活動を始めたのは、夫・泰淳が亡くなった後の1977年からで、その発表場所も限られていたため、生前刊行された単著はわずか5冊。もっと読みたいという願いもむなしく、逝ってしまった。百合子の娘で写真家の武田花の編になる「あの頃――単行本未収録エッセイ集」には、雑誌などに発表されただけで単行本化されることのなかったエッセー105編(連載「テレビ日記」全12回を1編として)が収められ、「もっと読みたい」という長年の夢がようやくかなった次第だ。

 一編一編慈しむように読んでいくと、あらためて眼のいい人だなあと感心させられてしまう。

 たとえば表題作の「あの頃」は、泰淳の親友の竹内好を見舞いに行った際のエッセー。

 眠っている竹内の枕元で、埴谷雄高が石と化したかのようにうなだれている。すると「竹内さんがぽっかりと眼をあける。その気配で埴谷さんは化石から人となる。竹内さんの水分を湛えた大きな両眼に、みるみる光が宿る。と、埴谷さんはのりだして耳を傾ける姿勢をとる……」。

 状況を一瞬にして捉え、そこに的確な言葉を当てはめていく。この眼の良さは、市井の人たちの何げない会話や目の前の食べ物、映画、テレビの話題にも及んでいる。

 口絵のたばこを手にした百合子さんの写真を眺めていると、赤坂の自宅の泰淳さんの大きな遺影を前に、少し恥ずかしそうに話すその姿が思い出される。

 そうそう、「富士日記」の読者にはお馴染みの「大岡(昇平)夫人」も日記に書かれた通りの上品な方で、百合子さんの眼の確かさに、思わず笑みを漏らしたことも。
<狸>

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