「美輪明宏と『ヨイトマケの唄』」佐藤剛著
2012年の大晦日。77歳の美輪明宏は、NHK紅白歌合戦に初出演、黒い衣装に身を包み、「ヨイトマケの唄」を歌った。圧倒的な歌の力と存在感が、視聴者を強く揺さぶった。丸山明宏と名乗っていた若き日の美輪が、半世紀も前に作詞作曲したこの歌が、生命力を失うどころか、輝きを増している。桑田佳祐をはじめとする才能豊かなシンガー・ソングライターたちに歌い継がれてもいる。それはなぜなのか。音楽業界で長年活動してきたプロデューサーが、膨大な資料と証言をもとに、歌の命の秘密に迫っている。
シャンソン歌手を目指して故郷の長崎から単身上京した丸山は、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」のステージに立つようになり、ユニセックスの美貌から「シスターボーイ」と呼ばれて脚光を浴びる。しかし、反動もすさまじく、同性愛者に対する偏見からゲテモノ、キワモノ扱いされて、世間から忘れられる。
しかし、丸山の才能が本物であることを見抜いていた同時代の天才たちが、再び彼を表舞台へと導く。中村八大は丸山をNHKのバラエティー番組「夢であいましょう」に出演させて復活の機会をつくり、赤字覚悟でリサイタルを開いた。丸山が10代のころから親交があった三島由紀夫は、誰も真似のできない言葉で励まし、ときに叱咤する。そして戯曲「黒蜥蜴」で女優として開花させる。天才たちはみな純粋で、差別も偏見もなく、どんな権威にも支配されず、自分の道を歩いていた。だからこそ、丸山という表現者に感応し、ともに仕事をすることを喜んだ。
「ヨイトマケの唄」が時代を超えて生きているのは、表現者たちの反骨精神と熱さを内包し、熟成させてきたからなのだ。(文藝春秋 2200円+税)