文庫短編集特集
「夢現」日本推理作家協会編、山前譲監修
年末も近づき、仕事もラストスパート。今回はお疲れ気味の諸兄を別世界へいざなう短編集をご紹介しよう。日本推理作家協会が編んだ推理物、人気作家による連作短編、今話題の海外短編の3ジャンル6冊で疲れた脳をリフレッシュ。
日本推理作家協会の創立70周年を記念して編まれたアンソロジー。初代理事長・江戸川乱歩から、現在の今野敏まで、協会の理事長を務めた14人の作家の作品が並ぶ豪華作品集だ。
私立探偵の「私」は、大学の先輩だった弁護士から依頼された調査を終えて、息抜きのため横浜の丘の中腹にある由緒あるホテル・ウィンザーに投宿する。ロビーですれ違った娘に目を奪われた私は、老クラークの話から彼女がM電機の社長令嬢だと知る。深夜、伊勢佐木町の裏通りを飲み歩いていた私は、ある店で彼女を見かける。酔って正体を失いかけている娘をナンパ男から体を張って助け出した私は、彼女の希望通り、東京の屋敷に送り届ける。父娘に引き留められた私は、その夜、屋敷に宿泊することになったが……。(生島治郎著「夜の腐臭」)
(集英社 800円+税)
「Love 恋、すなわち罠」日本推理作家協会編
夏休み、道子の家で蔵書を読み漁っていた孫娘のエミールが、本に挟んであった封書を見つける。切手も消印もない封書のあて名はヒチコック、差出人は旧姓の道子の名になっていた。
しかし、道子には心当たりがない。差出人の住所は、道子が大学を卒業した昭和41年から結婚するまで住んでいたアパートになっていた。開封してみると、「もしも私が不審死を遂げたら、犯人は、以下のどちらかの男です」と2人の名を挙げ、警察に知らせるよう記され、工富多津子の署名があった。多津子は当時、道子と同居していた友人だった。多津子とは、40年以上会っていないが、不審死をしたとは聞いていない。エミールは、謎の真相に迫ろうと、道子にあれこれと質問を繰り出す。(西澤保彦著「恋文」)
東川篤哉や薬丸岳、本多孝好ら、気鋭の作家が競作する恋愛ミステリー集。
(講談社 900円+税)
「肉小説集」坂木司著
職場の先輩に連れられて、歌舞伎町にある韓国料理店に行った。豚足を食えと言う。ハムだか肉だかわからない食感が不気味で苦手だが、先輩の好物で逆らえない。おそるおそる箸をのばして1枚いただく。やっぱりうまくない。噛んでいると豚が自分の体温と同化して溶けだしていると思うとぞっとした。
主人公の俺は三流大学を出て一般企業に就職したが人間関係がうまくいかず退職。武闘派を自任し、任侠映画にはまっていた彼の再就職先はなんと経済ヤクザの会社だった。先輩とは兄貴分の上司で、仕事で穴をあけた1000万円の落とし前を迫られていたのだった。
この「武闘派の爪先」から、「アメリカ人の王様」「君の好きなバラ」「魚のヒレ」「肩の荷(+9)」、そして「ほんの一部」までの、どれも肉の部位とそれぞれの料理が出てくる6短編を収録。
主人公の男性はそろってダメ人間ばかりの味のある小説集だ。
(KADOKAWA 560円+税)
「店長がいっぱい」山本幸久著
浩輔は、他人丼のフランチャイズチェーン「友々家」八王子北口店のオーナーで店長。5年前、大手広告代理店を辞めて、実家のそば屋を継いだ浩輔だが、父が40年以上続けてきた店を2年で潰してしまった。妻との仲も冷え、離婚寸前のところに、友々家から店舗兼自宅だった土地を貸して欲しいと打診があったのだ。
借金で切羽詰まっていた浩輔は、女性担当者の霧賀に、土地を買い取って、その店の店長にして欲しいと頼んだ。以来3年、浩輔は黙々と働いてきた。
クリスマスの夜、バイトの犬塚が前夜、ある人が浩輔を訪ねてきたという。渡された名刺には、かつての部下の名前が書かれていた。(「松を飾る」)
さまざまな町にある「友々家」で働く店長を主人公にした連作短編集。
(光文社 760円+税)
「夜想曲集」カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳
ベネチアのサンマルコ広場でジプシーのギター弾きをしている私は、大勢の観光客の前で演奏していたある春の朝、トニー・ガードナーがいることに気が付いた。
トニーは、甘く囁くような歌声で、60年代に名を馳せた老歌手。興奮して挨拶に向かうと、トニーは私の話にじっと耳を傾けたあと、実は女房の誕生日プレゼントを計画しており、協力してほしいと頼んできた。
実はこのベネチア旅行は別れの危機が訪れているガードナー夫妻にとって、最後の旅行になりそうなのであった―――。(「老歌手」)
先日、ノーベル文学賞を受賞した著者初の短編集。ほかに「夜想曲」「チェリスト」など音楽をテーマにした全5編を収録。
(早川書房 780円+税)
「ラテンアメリカ怪談集」J・L・ボルヘス他著、鼓直編
巨匠ボルヘスをはじめ、独自の幻想文学の潮流を受け継いできたラテンアメリカの作家15人の作品を編んだ恐ろしい短編小説集。
その日は、素晴らしい天気で、空は澄みわたり、通りは人であふれていた。テラスから地平線を眺めていた「私」は、偶然、それに気づいた。火の粉が空から降ってきたのだ。落ちたそれを見ると、燃える銅の粒だった。長い間隔をあけて一粒、一粒、落ちてくるそれに漠然とした恐怖を抱く私だが、食事の時間となり、私は食事部屋へと向かう。大都会でのふしだらな生活に終止符を打った私には、読書と食事だけが楽しみなのだ。食事中も火の雨は降り続けるが、私が午睡から覚めるとやんでいた。町は安堵に包まれ、快楽を売る人たちが通りを彩りはじめるが……。(ルゴネス著「火の雨」)
(河出書房新社 780円+税)