「山口組と日本」宮崎学著
プロフィルに「父はヤクザで土建業を営む寺村組組長」とあるように、著者はヤクザの世界から「もう一つの日本近現代史」を見ていく。その題材が大正4年に神戸に誕生し、戦前、戦後を通して日本最大の暴力団組織として君臨する「山口組」だ。
その山口組から2015年に「神戸山口組」が分裂、さらに2017年に「任侠山口組」と3分裂し、わたしが住む神戸では「また抗争かいな。こわいなあ」という街の声が聞こえる。
そんな折に、「特にヤクザを『称揚』することはない。過剰に排除しなければいいだけである」(156ページ)、「やはり『世間は実はヤクザが好き』なのであろう」(278ページ)というスタンスで、ミナト神戸を主な舞台とする山口組すなわちヤクザ組織と社会の関係性と時代の変貌を淡々と記述していく。これは宮崎学しかできない仕事だ。
そこから導かれる結論は「古き良きヤクザを破壊したのは、過剰な暴力団排除であり、警察である。本来のヤクザとは、地元の顔役であり、全国制覇など目指していなかった」(253ページ)ということである。
ヤクザに限らず組織は追い込まれると強くなる。さらに強くなり勢力が広大になると今度は組織防衛に走る。まるでコンプライアンスのように組員の規律を厳しくしたり、それはもうヤクザではなくビジネスの組織である。
この著者の感覚に「なるほどなあ」と思う半面、「ヤクザに良い悪いなんかあるかいな」と断じるアンビバレンツな感情。それが長田区の路上での射殺事件を見たり聞いたりして怯えつつ、銀行のキャッシュカードも持てず、携帯電話も契約できないし、マンションを借りたりクルマも買えないヤクザの現状を知る、神戸の街場の人々の複雑怪奇なヤクザ感と重なるのだ。神戸、大阪そして著者の育った京都は、ヤクザと庶民が他所よりも近しい。この新書が神戸三宮の主要書店で、平積み多面展開されているのを見ると、そのことがよく分かる。
(祥伝社860円+税)