定説がガラリと変わる歴史本特集
「日本史の新常識」文藝春秋編
ひとつ新しい事実が判明しただけで、それまでの定説ががらりと変わってしまうのが歴史の面白さだ。そういう、今まで見えなかったものを見せてくれる歴史の本を紹介しよう。「事実(歴史)は小説より奇なり」なのだ。
将軍足利義昭との仲が険悪になっていた元亀3(1572)年ごろ、信長は義昭に17カ条の異見書を提出する。その中に「天下」という語が頻繁に出てくるが、ここではそれは「世間」という意味で用いられている。
信長は実は「天下の沙汰(世間の評判)」を大いに気にしていた。義昭との戦いで京に火を放とうとしたとき、吉田神社神主の吉田兼見に「将軍に対する天皇・公家などの評判はどうか」と尋ねた。天皇・公家だけでなく、万民の評判も良くないという返答に満足した信長は、いったんは講和したものの結局、義昭を京から追放する。だが、義昭の命を取らなかったのは、「天下」の批判を避けたのだろう。(谷口克広著「織田信長の意外なポピュリズム」)
ほかに、鹿島茂著「司馬遼太郎が見抜いた『西郷幻想』の危うさ」など、一流執筆陣28人が日本史の32の謎を解明。 (文藝春秋 800円+税)
「承久の乱」坂井孝一著
鎌倉幕府3代将軍源実朝には実子がいなかった。実朝は将軍として親裁(決裁)を強化しようとしたが、執権の北条義時がこれを阻止しようとしたため、後継の将軍に後鳥羽上皇の皇子を据え、自分は右大臣として補佐しようとした。
後鳥羽もこの協調路線を了承していたのだが、実朝が暗殺されるという予期せぬ事態が勃発。後鳥羽は義時を排除しようと承久の乱を起こす。後鳥羽は義時を排除して鎌倉幕府を自らのコントロール下に置こうとしたのだが、鎌倉幕府はこれを幕府への攻撃と読み替え、武士の危機感を煽って上皇軍を打ち破る。史書の中でも後鳥羽に「倒幕」の意図があったとするのは「吾妻鏡」のみである。
だが、この政変によって公家政権と武家政権の力関係が逆転し、本格的な「武者の世」が到来することとなった。承久の乱の真相を読み解く一冊。 (中央公論新社 900円+税)
「逆転した日本史」河合敦著
日本史の研究が進んで通説がひっくり返ると、教科書の中身も当然変わる。例えば以前は、江戸時代には「士農工商」という厳格な身分制度があったと教えられたが、現在の教科書にはその言葉はない。実は「士農工商」は古代中国の「あらゆる人々」を意味する概念だったが、それを江戸時代に儒学者が日本の社会に強引に当てはめた。それが明治以降に誤った形で伝わったという。
江戸時代の社会では武士と百姓、町人という職能による区分をしており、村に住むのが百姓で、町に住むのが町人だった。
しかも身分間の移動も簡単で、幕臣として名を上げたあの勝海舟の先祖は、なんと越後の農民だった。曽祖父のときにお金で権利を買って武士になったのだ。
ほかに、聖徳太子や坂本龍馬が教科書から消えるなど、びっくりするような情報がいっぱいだ。
(扶桑社 830円+税)
「歴史の読みかた」桐光学園+ちくまプリマー新書編集部編
寺田寅彦は、文明が進むに従って災害の被害の度合いも比例して大きくなると警告している。
その最たるものが東電福島第1原発の事故だ。震災を機に自然観や文明観が揺すぶられ、最も大切なものは何かという価値観が組み替えられた。東日本大震災や福島第1原発事故を歴史の中に位置付けていくことが必要である。
その継承法のひとつが「物語り」だ。柳田国男が民俗学という学問を始めたのは、文字にならないものを記録にとどめようとしたからだ。震災の被害者はこの先あるはずだった未来の物語を失った。彼らがつらい体験を自分の言葉で語りなおす「喪の作業」が必要で、そういう「物語り」は忘却にあらがう力をもっている。(野家啓一「歴史と記憶」)
ほかに「憲法とは何か」(長谷部恭男)など、8人の学者が歴史の読み解き方を語る。
(筑摩書房 820円+税)
「歴史という教養」片山杜秀著
著者は歴史を学ぶ姿勢として「温故知新主義」を提唱する。荻生徂徠の注釈に従えば、「温故知新」とは「歴史に学んで今を生きる力を養う」こと。だが、いくら歴史から学んでも、変化が極まりなく、現在・未来を過去のパターンによって読み解くことはできない。そうなると「温故知新主義者」は謙虚な相対主義者になるほかはない。「歴史に学んで今に生かす」というと、それは「保守主義」ではないかと思われがちだ。
だが保守主義とは、手荒なことをしなくても着実に進歩していける安定成長時代のイデオロギーである。安定成長が脅かされて危機にさらされると、革命のようなラジカルな動きを抑止しようとし、失敗すると個人主義に逃げ込む。
それに対して、起きてしまった歴史を引き受け、「知新」のためのひらめきを模索するのが「温故知新主義」である。新しい歴史の見方を提唱する。
(河出書房新社 800円+税)