「評伝 西部邁」高澤秀次著/毎日新聞出版
安倍晋三、ドナルド・トランプ、竹中平蔵、桜井よしこ、百田尚樹、カルロス・ゴーン。
これは私が「幹事長 二階俊博の暗闘」(河出書房新社)の中で「現代悪人列伝」として挙げた人々の一部である。
西部邁はこれに異議を唱えないだろう。田原総一朗が「反体制保守派」と評したというが、ならば、晩年に親交を深めた私は「反体制革新派」ということになるのか。
私がこの本を手に取ったのは、西部と私がなぜあれほど共通の時間を持ち、嫌いな人間が同じだったかを知りたいと思ってだった。
思想ではなく嗜好が同じだったのだと語呂合わせみたいなことを言っていたが、それだけで毎週1回1時間の対談を3年間もやり、その後も対話を続けたことの説明にはならない。
ちなみに高澤は、西部は映画については素人だったとし、「最晩年まで『映画芸術』誌上に連載した佐高信との対談映画時評を読むと、そのど素人ぶりは歴然としている」と続けているが、玄人か素人かが批評になると思っているコッケイさに私は笑ってしまった。
西部の魅力は私に言わせれば「思想」にあるのではない。人間もしくは感性にある。だから、安倍や竹中の浅薄さに耐えられないのである。
「保守思想家」の枠からはみ出るのも、西部が永遠の非行少年だからだろう。保守性は日常性に通ずるが、その日常性に非行少年は反逆する。
私は西部を思想人間ではなく、感性的に共通するものを持つ人間として接してきた。そして「思想放談」(朝日新聞出版)に始まる6冊もの共著を出した。
西部は札幌南高校の同期生でアウトローに生きた海野治夫について「友情―ある半チョッパリとの四十五年」を書き、その印税を彼の遺族に渡したという。「この律義さは、三島(由紀夫)の病的なそれの対極にある」と高澤は指摘しているが、私も同感である。
数少ない私の読者は西部との共著を読んで西部を見直し、西部ファンは私を認識し直したなどという話も聞いた。
西部に「便所の落書きのような」と言われた西部批判を私は書き散らしたが、それでも私との交友を結んだ西部邁とは何者なのか。
残念ながら、この本はそれを解明してはくれない。しかし、読みものとしてはおもしろいので推薦する。 ★★半(選者・佐高信)