「空白の日本史」本郷和人著/扶桑社/880円+税
テレビで時々見かける東大教授だが、今年の御代替わりの際は元号が何かを予想する立場としてさまざまな場所からお声が掛かった。語り口が面白く、かつ知識量がハンパないことは分かっていたが、著書も同様に面白かった。
本書は多くの人が当たり前のように受け入れている歴史の定説に「でもこれっておかしくないか?」と問題提起をし、具体的な証拠をベースとして著者なりの解釈を示す。
天皇家と神道の結びつきの強さはしきりと報じられたが、著者はそもそも天皇家は仏教との結びつきが強かったと述べる。中世日本では仏教の方が神道よりも勢力が強く、天皇の息子である「親王」が宗教の道に入る場合は神道ではなく仏教の道に進むと説明。
〈仏教の道に入って入道親王や法親王と呼ばれた人物はゴマンといますが、親王から神主になった人は誰もいません〉
さらに、天照大神のモデルとされる持統天皇以来1000年間、伊勢神宮に参拝に行った天皇はいないことなどを紹介する。なぜ神道と皇室の結びつきの強さがしきりと言われ、天皇を神のような存在にしたかについては、すべて明治時代以降の「皇国史観」にあると喝破する。
欧米諸国に対抗するための富国強兵のためには国を束ねる必要があり、その神輿に天皇を担ぎ出す必要があったということだ。こうした例がたくさん出てくるのだが、面白かったのが「豊臣秀吉は源氏の出ではないから征夷大将軍になれず天皇の任命で関白になり幕府を開けなかった」という説への反論である。
平民の出で「猿」と呼ばれた秀吉だから仕方ないもんね、なんて安易に思っていたのだが、実質的に秀吉は天下人だった。幕府というものは、天皇から征夷大将軍に任命されてからスタートする、とされていたが、著者は「戦いに勝ち続けたから」天下人になれたという。
だからこそ鎌倉幕府は源氏が平家を滅ぼした1185年だし、室町幕府は憲法ともいえる建武式目が誕生した1336年、江戸幕府は関ケ原の合戦により徳川家康が諸大名を屈服させた1600年ということになる。いずれも「天皇が征夷大将軍に任命した年」ではないといい、天皇の権威化が進んだのは最近では、という視点を与えてくれる。
他にも西郷隆盛と勝海舟の会談を受けての江戸城無血開城の真実や戊辰戦争の発端が政府側のゴーマンな使者によるものだったことなど、知識が次々と入ってきて賢くなった気分に浸れる。
★★★(選者・中川淳一郎)