「モヤモヤの正体」尹雄大氏
「みんなの迷惑」「それはワガママ」と言われると、納得いかなくても我慢せざるを得ない――。誰もが一度は経験したことがありそうな、日常生活におけるそんなモヤモヤする場面を一つ一つ掘り下げ、モヤモヤの正体を解明していく一冊だ。
「迷惑とワガママについて書こうと考えたきっかけは、ベビーカー問題です。僕は駅の階段でベビーカーを運ぼうとしているお母さんを見かけたら『手伝いましょうか』と声をかけるんですけど、ほとんどの人が警戒感と申し訳なさの入り交じった表情で『すみません』と謝るんです。ベビーカーや子連れでの外出で、彼女たちが日々いかにキツイまなざしや扱いを社会から受けてきたかを、体が表している反応ですよね」
ベビーカー問題とは、電車やバスにベビーカーを畳まず乗車することへの「周囲への配慮がない、迷惑」「親のワガママ」という批判や車内でのトラブルを指す。「弱い立場への想像力がない、非寛容」という反対意見もあり、SNSを中心に炎上・論争が定期的に起きている。
「どちらが正しいかを論じても、『どっちもどっち』で終わらせても、問題の本質が見えないと感じたんです。そうじゃなく、おのおのの言い分を生み出す背景や体験を探っていくと、隠されているものが見えてくるんじゃないかと。『配慮がない』という批判の裏には、育児より労働が優先されるべきだという『常識』や、『私だって通勤で疲れているのに邪魔で不快だ』という感情があるかもしれない。要は『私に』配慮してほしいんだけど、それを言うとワガママと思われるから『みんな』や『周囲』にすり替えて、社会的に正しいとされる常識を持ち出している可能性もあるわけです」
ベビーカー問題に始まり、本書では「仕事」「感情」「笑い」などのテーマごとに、著者が日常で遭遇したモヤモヤする出来事が挙げられる。例えば「好きな人に告白するのは迷惑」と考える大学院生、保育園から聞こえる「ちゃんと・仲良く」という号令などだ。そして、それらの奥にある社会の同調圧力やトラウマ的体験などをじわじわと明らかにしていく。
「わかりやすくはない本ですよね(笑い)。自己啓発とか精神論のわかりやすい本って、ダイエット本と一緒です。誰かの成功体験でしかないから、そのまま真似しても痩せない、うまくいかない人もいる。だからたくさん本が出ているわけでしょ。この本の『教育』のところで書いたように、多くの日本人は幼い頃から年長者や目上の人の教えをまず聞く、理解するということを学校や家庭で叩き込まれていて、いい子であればあるほど、理解はできるが判断力がない、という状態になっていく。それが大人にまで続くと、自分に合わない努力や苦労を言われるままにして、ダメになったりするんです」
本書の後半では、豊富なインタビュー経験を基に、海外出身力士の強さ、工芸や大工など職人に備わっている自信など、現代人が陥る「罠」にとらわれない人の例も紹介される。鍵になるのは、体の声、体に根差した感覚だ。
「今、新型コロナを『正しく恐れよう』みたいな呼びかけをよく目にしますけど、おかしいですよ。恐れという感情に正解があるんですか? 誰が正解を決めるんでしょう。感情や感性は体に宿る、体から湧いてくる、本来その人だけのものです。しんどくてもそれをちゃんと認めて味わわないと、僕らは誰かの決めた『正解』に合わせるという教室的な生き方から逃れられません」
(ミシマ社 1800円+税)
▽ゆん・うんで 1970年、神戸市生まれ。インタビュアー、ライター。政財界人、アスリート、アーティストなど約1000人に取材してきた経験と、さまざまな武術経験を基に身体論について執筆。著書に「体の知性を取り戻す」「脇道にそれる―〈正しさ〉を手放すということ」などがある。