「叛逆老人は死なず」鎌田慧氏
リュックのポケットにペットボトルを入れた男女が、地下鉄永田町駅や国会議事堂前駅に降り、キリッと前を見て地上へ。国会議事堂に近づいていく。
原発や沖縄の基地問題をはじめ、安倍政権に「黙ってられるか」とデモに参加する人たちだ。ほとんどが、60代後半から80代の高齢者だという。自身81歳のルポライターである著者は、国会前デモの彼らはもとより各地で権力にまっとうにあらがう人たちを「叛逆老人」と呼ぶ。
「労働組合が機能していた頃は、若い世代が動員されるから、デモや集会に老人は来る必要がなかったんです。ところが、今や、労働組合の加入率はたった16%。現役世代が来ないから、老人の出番というわけです。集まってくるのは、自分たちが安閑と暮らしてきたことに自責の念があるからでしょう。学生時代に60年安保もしくは70年安保の運動をやったが、就職状況はおおむね良く、終身雇用と定期昇給の制度を享受した。ところが、現役を退いて、気がついたのは、自分の子供たちの世代の4分の3は非正規労働者だということ。正社員になれない時代に変わってしまっていたのですからね。こんな社会にしたのは、自分たちだ、と」
デモに行くには、エネルギーが要る。交通費も、終わった後の仲間との飲み代も要る。それにも増して使命感を感じる老人たちが後を絶たないのだ。
今の老人は、一昔前の老人より元気とはいえ、年齢には勝てない。著者には、一緒にデモに出ていた同年代の仲間が姿を見せなくなり、やがて訃報が届いたことがあったそうだ。
「沖縄・辺野古の海のそばに住む島袋文子さんは、私が取材した当時87歳でしたが、たいがい、高江のヘリパッド建設工事に抗議する座り込みの列にいました。しかも車椅子で。そこは、強制排除が常態で、島袋さんは87歳にもかかわらず、機動隊に手加減なく排除され、指に3週間の傷を負いました。それ以前には、辺野古のキャンプ前に座り込んでいたところ、島袋さんが『暴力行為』を働いたと、あらぬ容疑をかけられたこともあった。それでも島袋さんは屈しませんでした」
本書は「サンデー毎日」などに書いたものを中心に、沖縄の高江、辺野古、そして各地の原発再稼働に抵抗する人々に加え、石牟礼道子、上野英信、むのたけじ、石川文洋らの評伝も併録した“叛逆老人列伝”ともいえる話題の書だ。
島袋さんの叛逆の原動力は戦争体験だが、信念のある叛逆老人は、なべて語る言葉を持っている、と著者はいう。
「圧巻だったのは、青森県の大間の熊谷あさ子さんの言葉ですね。彼女は、2006年に68歳で逝去しましたが、大間原発建設地に持っていた1ヘクタールの土地を最後の1人になっても売らなかった人です。『海が汚されたら、大間は終わりだ。海と畑があれば、人間は食っていける』という明快な一言で、原発マネーをはねのけたのです。素晴らしい言葉ですよね。叛逆老人に共通しているのは、『少しくらい体に無理をさせても、恐れることはない』との思いではないでしょうか」
本書のカバー表紙には、著者そっくりのマイクを持った男性を先頭に、太鼓をたたいたり「デモクラシー」のプラカードを抱えたりした一群が、にこにことデモ行進している明るくポップなイラストが載っている。
そこには「おじいちゃん・おばあちゃんが楽しそうに叛逆しているのが、かっこいい」と若い世代が思ってくれて、社会に目を向ける一助になればと、さりげなく、そんな思いが込められている。
(岩波書店 1900円+税)
▽かまた・さとし 1938年、青森県生まれ。ルポライター。労働、原発、冤罪、沖縄問題などを取材・執筆すると共に、「『さようなら原発』一千万署名市民の会」などの呼びかけ人として活躍。「自動車絶望工場」「六ケ所村の記録」「声なき人々の戦後史」ほか著書多数。