「特攻隊員の現実(リアル)」一ノ瀬俊也氏
今年は戦後75年目。昭和から平成、令和と移り「戦争は昔の話」になりつつあるが、戦争のシンボリックな存在として特攻隊を思い浮かべる人は少なくないだろう。
「特攻とは、飛行機や小型潜水艦、あるいは人間が爆弾を抱いて敵に体当たりする、生還を期さない戦法です。特攻隊そのものは1941年の開戦当時からありましたが、組織化されたのは44年のフィリピン戦の頃。勝てる見込みがなくなり、軍が日本独自の戦法を模索したんですね。その日本独自の戦法とは、ずばり人の命を鳥の羽か何かのように軽く考えること。一発逆転の新兵器が造れないので特攻隊という人間の命で代用することで、アメリカはひるむだろうと考えたんですね。戦時下において命を惜しむなという価値観は他国にもありましたが、特攻隊のように軍の方針として大規模に採用したのは日本だけです」
今でこそ非人道的と批判される特攻隊だが、当時の国民は一体どう見ていたのか――。本書は、手紙や日記などさまざまな資料をもとに、当時の人々にとっての「特攻」に迫った最新の特攻論。これまでの軍の責任論や特攻隊員の悲劇にとどまらず、多面的に捉えた異色の一冊だ。
特攻作戦を実施した背景には、ひたすら戦争を継続しようとする軍上層部の打算があったという。戦争を終結するにしても、アメリカに一撃をくらわして有利な立場を築き、和平交渉を行うという「一撃講和論」に固執していたのだ。
「一撃講和論の注目すべき点は、長い間戦争に協力してきた国民の怒りを引き起こさないための選択であったことです。戦争に必要な飛行機を造っているのは一般国民でしたからね。その国民の多くが神風の到来と戦局挽回を望んだ。いわば、軍は国民感情を忖度したわけです。そしてラジオや新聞で特攻隊をエモーショナルに宣伝し、国民も神などと称えました。結果、嫌々でも行かざるを得ない空気が出来上がり、特攻死していった。その空気はメディアと国民が軍の関与の下、つくり出していったんです。特攻を支えたのは国民なんです」
本書に収められた数々の資料からは、特攻作戦が国民の戦意高揚を目的としていたことや、軍の国民におもねる気持ち、そして特攻に対する国民の反応の変化を浮かび上がらせる。初期の頃こそ、感激と興奮に満ちていた国民だが、特攻が日常化する中で次第に特攻への無関心が広がっていく。
「東京空襲があった戦争末期には、『なぜ飛行機で東京を守らないのか』という空気もありました。遠い外地での戦果よりも自分の暮らしが大事と思うようになっていたんですね。他にも、特攻など誰もやりたくない、被差別部落の人々や孤児に押し付ければよいとの発言記録も残っています。そんな中、特攻隊員は深い孤独の中に閉じこもっていきました。もちろん国民の中には特攻に疑問を持っていた人もいたでしょう。でも声にすることはできなかった。これが特攻のリアルなんです」
著者は今、結局は特攻を純粋な若い人に押し付けた戦中と、現在とがよく似ていることを指摘する。
「新自由主義になって以来、お金がすべてになりました。そして、競争で負けた人が、誰もが嫌がる仕事をやるのもやむを得ない、という意識がむき出しになっていることを懸念しています。弱い立場の人に押し付け、その他大勢がラクをする……。技能実習生の労働搾取、外国人労働者、原発処理などはまさにそれです。でも本当にこれでいいんでしょうか。自分たちを客観的にみるためにも、戦時中の人がどういう考え方をしていたかを知ることは大切だと思いますね」
(講談社 860円+税)
▽いちのせ・としや 1971年、福岡県生まれ。九州大学大学院比較社会文化研究科博士課程中途退学。現在、埼玉大学教養学部教授。著書に「近代日本の徴兵制と社会」「戦艦大和講義 私たちにとって太平洋戦争とは何か」「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」など多数。