「毒薬の手帖」デボラ・ブラム著 五十嵐加奈子訳

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「突如として白いマスクだらけになった通り……劇場や酒場、ダンスホールなど、人が多く集まる場所へは行かないように注意を呼びかけられた。劇場ではすべての窓を開け放っておかなければならず、閉めてあるのが警察に見つかると営業停止になった」

 現在のことのようだが、実は今から100年前、第1次大戦終結直後のニューヨークの光景だ。本書の主人公ニューヨーク市監察医務局長チャールズ・ノリスらが、当時猛威を振るったスペイン風邪の処理に追われていた時の記述だ。

 20世紀初頭のニューヨークには科学の知識を持った検視官がおらず、新規の毒物による犯罪に対してまったく無力だった。それを一新したのが18年に監察医務局長の座に就いた病理学者のノリスだ。彼は就任と同時に有能な毒物学者アレグザンダー・ゲトラーを採用し、科学捜査を始動させていく。クロロホルムなどの新手の毒物が狡猾(こうかつ)な犯罪者に使用され、捜査陣を攪乱(かくらん)する中、ノリスとゲトラーは精密な実験を繰り返し揺るがぬ証拠を犯人たちに突きつけていく。

 そのさなかにインフルエンザによるパンデミックに見舞われる。また20年から始まる禁酒法はかえって毒性のあるメチルアルコールによる死者を増大させるなど、行く手にはさまざまな困難が待ち受けていた。

 本書は、クロロホルム、シアン化合物(青酸カリなど)、ヒ素、水銀、一酸化炭素、ラジウム、タリウムといった新旧の毒薬を駆使して犯行を隠蔽しようとする犯罪者とノリスらの科学捜査との壮絶な戦いを描いたノンフィクション。

 たとえば毒薬の代名詞ともされるシアン化合物だが、20世紀以前は明確な痕跡のため殺人用にはほとんど使われなかったという。そこへ起きたのが、ある老夫婦の怪死事件だ。2人の死因はシアン化合物によるものとわかったが、部屋に毒物使用の痕跡は一切ない。ゲトラーはいくつもの仮説を立てながらその真相に迫る……。

 ノンフィクションではあるがミステリーの要素もたっぷり。犯人と科学者たちの毒を巡る攻防がスリリングに描かれる。 <狸>

(青土社 2600円+税)

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