もう1つの名作案内本 こんな読み方もある!?
「文豪東京文学案内」田部知季ほか著、田村景子編著
例えばプリズムを通して景色を見ると、見慣れた風景がいつもと違って見えるように、よく知られた作品でも読み巧者の視点で読むと、意外な世界が現れる。あの人はこの作品をこう読んだのか、という発見も楽しい。
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「半七捕物帳」や「修禅寺物語」で知られる岡本綺堂は、父が英国公使館のジャパニーズライターだったことから、高輪泉岳寺に生まれた。新聞記者として劇評を書いていたが、やがて戯曲や小説も書き始める。病弱だったため、療養中に「江戸名所図会」を眺める体験をしたことが、東京の古層にある江戸に目を向ける契機になった。
だが、「半七捕物帳」では、ただ懐古的な視点にこだわるのではなく、笹売りや飴売りなどの江戸の生業が消えてゆく、文明開化の時代の東京の姿も見つめている。
他に、新宿に住んでいたとき、子どもの頃住んでいた大川端(隅田川のほとり)での暮らしを懐かしんで、隅田川の水を見ると、長旅の巡礼が故郷の土を踏んだときのような気がすると述懐した芥川龍之介ら、作家が作品の中で語る東京を紹介する。
(笠間書院 1980円)
「世界文学の名作を『最短』で読む」栩木伸明編訳
ヴァージニア・ウルフの名作「オーランドー」の主人公、オーランドーは、男として生まれ、16世紀末のイギリスで廷臣としてエリザベス1世に仕える。ロシアの皇女と大恋愛をして裏切られ、トルコに渡るのだが、そこでなぜか女性に変身する。オーランドーをトルコまで乗せた商船の船長は、彼女のふわりとなびくスカート姿を見て、船員に日よけを張るように命じる。
ウルフは、おのおのの人間の役割は衣服という記号によって表されると考え、「衣服が私たちを着ているのであって、私たちが衣服を着ているのではない」という警句を掲げている。
他にエドガー・アラン・ポーの「アルンハイムの地所」など、読者の想像力を刺激する世界の名作を、本文の抜粋と解説で紹介する。
(筑摩書房 1870円)
「山田全自動の日本文学でござる」山田全自動著
友人の家を転々としている「私」は音楽を聴いても詩を読んでも気分が晴れない。好きだった丸善に行っても重苦しい場所に感じる。
ある日、果物屋で檸檬をひとつ買った。手のひらにのせて見ていると、色も匂いも重さも冷たさも快くて、憂鬱な気分が楽になってきた。丸善に入って、本棚から本を取り出してみたが、重くて耐えられない。ふと思いついて、本を積み重ね、その上に檸檬をのせてみた。丸善の空気がそこだけ緊張しているように感じられる。いったんは檸檬を持ち帰ろうとしたが、思い直して檸檬を本の上に置いたまま帰って来た。気詰まりな丸善に爆弾を仕掛けたような気分だ。(梶井基次郎著「檸檬」)
緩いタッチの絵柄なので本の山の上に檸檬がのっている様子がちょっとユーモラス。真面目な文学作品をマンガで視覚的に見ると印象が変わる。他に中島敦の「山月記」など全20作品収録。
(辰巳出版 1430円)
「名著の話」伊集院光著
カフカの「変身」は、平凡なサラリーマン、グレゴール・ザムザがある日、目覚めると、自分が巨大な虫になっていることに気づくという奇妙な小説である。だが、ドイツ文学者の川島隆が「虫」ではなく、「虫けら」として解説したことで、著者は、「これは俺の話だ!」と一気に理解できた。ひきこもりだった頃の自分が突然、役に立たない虫になったというように読み替えることができたのだ。
川島は、自分の意思でひきこもるのではなく、ひきこもらざるを得なくなることを表現するのに、カフカが「虫」という設定を思いついたことに感嘆する。
柳田国男の「遠野物語」を日本文学者の石井正己と、神谷美恵子の「生きがいについて」を批評家の若松英輔と著者が語り合う。NHK・Eテレの「100分de名著」から厳選した3冊を紹介。
(KADOKAWA 1650円)
「娼婦の本棚」鈴木涼美著
娼婦と聖女、本妻と愛人というように、女は極端な2種類に分類される。フランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」は、頻繁に相手を代える父と暮らす17歳のセシルの物語だ。父の愛人の29歳のエルザは見えっ張りな売れない女優で、父とセシルの関係を揺るがすような存在ではない。
だが、母の友人だったアンヌは服飾関係の仕事をもつ42歳の大人の女性で、セシルとしては少しけむたい。父がアンヌと結婚しようとすると、セシルは2人を別れさせようと画策する。
30代のとき「悲しみよ──」を再読した著者は、女を対比的な2種類に分類する男のまなざしを拒絶するのでなく、したたかに2つの領域を行ったり来たりしてもいいではないか、と考えるようになったという。
ほかに、不条理な展開も柔軟に受け入れる「不思議の国のアリス」など20作を独自の視点で読む。
(中央公論新社 946円)