「ゆ場」 柳原美咲著
日本に生まれて良かったと思うことのひとつは、温泉につかれることと断言しても、異論はないだろう。
いにしえより老若男女、貴賎を問わず日本人を楽しませてくれた温泉は、地震や噴火などの自然災害を引き起こすこの土地がもたらしてくれる恵みでもある。
そんな日本各地の温泉地を巡り撮影した写真集。表紙を飾る湯あみする女性の美しい背中の写真からは、高級旅館の露天風呂や浴場の写真が連想される。
しかし、ページを開くと、地元に密着した温泉と、その恵みを享受する土地の人々の日常を活写した作品が並ぶ。
豪華な温泉と宿を増築した後も、常連客のために残された昔ながらの浴場と笑顔で客を迎える番台の女性(高知県須崎市そうだ山温泉)、地震と豪雨による大規模崩落の被害から3年をかけて復興し、営業を再開したばかりの地獄温泉(熊本県阿蘇郡南阿蘇村)につかる地元農家の家族、大塔川(和歌山県田辺市)の川底から湧く70度の源泉を川の水で調整して作った自分だけの露天風呂、浴衣やシーツなど温泉地らしい洗濯物がたなびく路地裏(兵庫県豊岡市城崎温泉)など。
撮影期間は2016年から2021年まで。その間に世界は大きく変わった。
中には緊急事態宣言が明けてすぐの伊香保温泉(群馬県渋川市)の写真もある。
いつもは行き交う温泉客でにぎやかな石段に人っ子一人おらず、ふと当時のことが思い出される。
館主の他界や建物の老朽化に加え、コロナによる客の減少で450年の歴史に幕を閉じた秩父七湯のひとつ千鹿谷鉱泉(埼玉県秩父市)の在りし日の姿を記録した数葉もある。
一方で、祖母も母も利用してきた同じ温泉に幼い娘も加わり3代でつかる姿(福島県喜多方市)や、山の中の天然の露天風呂で一日中過ごす男たち(大分県別府市)など、同じ年の暮れに撮影された写真はコロナ禍でも、いやコロナ禍だから余計にだろうか、温泉を楽しむ人々が戻ってきていることが写真からうかがえる。
どんなときも人々は温泉に癒やされ、明日への活力を得てきたことがよく伝わってくるのだ。
青森県のとある温泉(上北郡東北町)では、4、5人も座ればいっぱいになる洗い場で、よく見ると皆が同じあずき色の垢すりタオルで体を洗っていたそうだ。聞くとそこでは、近くの小川原湖でシジミ漁師が使っていた漁網をカットして入浴客に配っているという。
おばあちゃんが「私しゃまだ家にあっから」と譲ってくれたそのタオルは、市販品よりも手触りが柔らかく、いまでは著者の愛用品だという。
そんなささやかなやりとりが生まれるのも裸のつきあいができる温泉ならではだ。
常連客のお風呂セットがボトルキープのように脱衣所にずらりと並んでいる浴場(青森県黒石市岩木温泉)もある。
日ごとに寒さが厳しくなり、一層に温泉が染みる季節となった。読後、やっぱり日本に生まれて良かったと思わせてくれる写真集だ。
(冬青社 4700円)