「冤罪 なぜ人は間違えるのか」西 愛礼著/インターナショナル新書(選者:佐藤優)
酷すぎる中期勾留 病理が凝縮されている検察の人質司法
「冤罪 なぜ人は間違えるのか」西愛礼著
日本の刑事裁判は江戸時代のお白州に近い。北町奉行遠山金四郎景元(遠山の金さん)は、検察官と裁判官を兼ねている。弁護人はいない。1審制で自白偏重だ。しかも拷問が認められている。判決理由も「お上に逆らうのは不届き至極」というようなものだ。
現在の日本でも、世間の非難を浴びるようなことが起きると「ケシカラン罪」で逮捕される。特に「鬼の特捜」(東京地検特捜部)に逮捕された場合、起訴と有罪判決もパッケージだ。2002年に鈴木宗男事件に連座して東京地検特捜部に逮捕されたことがある評者にはこのことが皮膚感覚で理解できる。
元裁判官で現在は冤罪撲滅のために闘っている西愛礼弁護士は、検察の人質司法に日本の病理が凝縮されていると考える。
<刑事裁判では、捜査機関が事情聴取して集めた供述調書について、被告人が同意しなければ採用されません。そのため、無実を証明するためには、捜査機関にとって有利なことしか書かれていない供述調書には同意せず、法廷での証人尋問によって事実を明らかにするという手段を採ることになります。/ところが、この証人も口裏合わせなどによる「罪証隠滅」の対象ですので、証人の数が多いほど「罪証隠滅」という要件が認められやすくなってしまいます。そこで、早く釈放してほしいと願う人は証人尋問の機会を放棄して供述調書に同意することで証人の数を減らそうとすることになり、不利な立場で裁判を進めざるをえなくなってしまいます。/これらのように、身体を拘束されている人にとっては、あたかも自分の身体が人質として扱われ、身体拘束から解放されるために自白や供述調書への同意、証人尋問を放棄することを余儀なくされ、裁判が不利になるように導かれていくのです>
本書で西氏が言及しているプレサンス事件の山岸忍氏は248日、大川原化工機事件の大川原正明氏は332日、東京五輪事件の角川歴彦氏は226日、勾留された。酷い話だ。もっとも2002年時点で鈴木宗男氏は437日、評者は512日、勾留されたので、22年前と比べると日本の司法も進歩しているのであろう。 ★★★
(2024年12月12日脱稿)