「風が吹き、日が暮れて 追憶・風景」日野研一郎著

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「風が吹き、日が暮れて 追憶・風景」日野研一郎著

 医師である著者は、50代半ばだった2002年、仕事場が都内から多摩地域に変わり、自宅から車で1時間、変わりゆく風景を眺めながらの通勤は楽しく、やがて車を止めてその風景を写真に収めるようになった。やがて、一日の終わりに、撮影した写真に短い備忘、独白などを添えて整理するのが日課となり、「すると、失われた風景や、若くして死んだ友人が眼の前に立ち現れ、去った時代とともに彼らと過ごした日々がよみがえってくる」ようになったという。

 若き日に詩を書き、詩集を出したこともある著者にとって、写真を撮り、独白を書き添える作業は、書かなくなった詩の代替行為となった。

 本書は、そうして生まれた独白と写真を編んだフォトエッセー集。写真はすべてモノクロームだ。

「仕事場に行きたくなかった朝。世界の不幸が一度にやって来たような朝」という不穏な書き出しではじまる一文には、丘陵のてっぺんに立つ電波塔をとらえた写真が添えられる。

 背景の空は、もくもくとわきあがる雲で覆われ不穏な空気をさらに高めるが、その隙間からは陽光がもれて一部が明るく、希望も感じる。

 独白は「車のラジオでBillie Holidayがしわがれた声で good morning headache…と歌っていた、二日酔いの朝」と続く。

 テーブルの上に置かれたシンプルなグラスに注がれたソーダ水の写真には、就寝中に喉の渇きで目が覚め、冷蔵庫から冷たいソーダ水を取り出して一口飲んだと記されている。体は汗まみれだが、気分は爽快。

 そして最後に「昨夜は英国ビクトリア王朝時代のポルノグラフィーを読みながら眠った。だけど、さっきまで見ていた夢がどうしても思い出せない」と明かす。

 現在住む鎌倉で、飼い犬を連れて釈迦堂(遺跡)へ向かう途中に切り通しで一服。

 その写真には「中世の風が吹きぬけてゆく。一瞬、馬のいななきが響いたような気がした」と記す。

 土手のような場所を歩く男の写真には「こんな風景を過去に見たことがある。男を見上げているのが私だ。いやもしかしたら歩いている男が私だったかもしれない」。またある夕景の写真には「ふと空を見上げる。いつもの街にいるのに叫びたくなるような夕暮れに出会うことがある」など。

 写真からにじみ出る寂寥感に、著者の独白がため息のように重なる。

 ほかにも、若くして亡くなった男の蔵書の処分に立ち会った際の老舗古書店主との会話、短い休暇を利用して出かけた関西の点景、「今年出会った親しい死者たちの鎮魂のために」出かけた海辺の村の風景など。

 目の前の風景に触発され脳裏に蘇る過去の出来事や、湧きあがる感慨、どうしようもない孤独がひしひしと伝わってくる。

 それでも人は生きていかなくてはならない。

 人生を重ねてきたものだけが感じる、そのやり場のない感情に読む者の心が共振する。

 (港の人 3300円)

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