向田邦子 取材先の台湾で飛行機墜落事故
<1981年8月>
“台湾で飛行機事故が発生”の第一報が飛び込んできたのは22日。間もなく、「日本人乗客がいるもよう」と続報が入る。発表された乗客名簿にK・ムコウダの名前。ドラマの脚本家として数々のヒット作を世に送り出してきた作家、向田邦子(当時51歳)だった。
向田は1980年に短編の連作で直木賞を受賞。以降写真をメーンにした旅行記などの仕事も入るようになっていた。「仕事の煩わしさから逃れられる外国旅行が好きなの」と語り、この時も翌年に予定されている番組の取材を兼ね、1週間の予定で台湾を訪問していた。
事故が起きたのは午前10時10分(日本時間同11時10分)。台北発高雄行きの遠東航空103便ボーイング737型機が、離陸からわずか十数分後に台北の南南西150キロの空中で分解、墜落した。機内には高雄に向かう向田とそのスタッフ3人を含め乗員乗客110人が乗っていたが、全員が犠牲となった。事故原因はその後の調査で、塩水により与圧隔壁が腐食、貨物室の外板が破壊され、空中分解したことだった。