向田邦子 取材先の台湾で飛行機墜落事故
悲報を聞いた関係者からは一様に「信じられない、いや信じたくない」と声が上がった。桃井かおりは「ウソ! 信じられない」「飽きられるまで向田さんの作品に使ってほしかったのに」。
寺内貫太郎一家で主役を演じた小林亜星も「いま脂が乗りきった時だったのに」と早過ぎる死を惜しんだ。向田の初プロデュース作品で、遺作となったドラマ「わが愛の城」はくしくも事故当日22日に撮影が完了。主役のひとり、岸本加世子は悲報を聞いてからは泣き通し。真っ赤な目を隠すために眼帯をし、涙をこぼしながらインタビューに応じた。
世間を驚かせた突然の事故だが、予感させる不思議な出来事も報じられた。向田は6年前の乳がん手術以来、右手が動かないなど苦しんでいた。妹が「どうせ死ぬなら飛行機が空中爆発という死に方をしたいわ」と言ったら、向田は「それが出来たら最高ね」と答えたという。それが現実のものとなってしまった。
取材先は当初、シルクロードの予定だった。しかし、カシュガル地区が政情不安なため、急きょ他の候補地を探すことになった。イスタンブールも検討されたが、予算が合わず、結局、決まったのは台湾。多くの作品で向田とタッグを組んだプロデューサー、久世光彦は同年7月中旬に同じコースで台湾旅行をしており、向田においしいお店を紹介していた。久世は「直木賞を取らなければ写真集を出そうなんて物好きな出版社もなかったろう。バカな死に方をして!」と悔やんだ。