玉の輿婚の吉沢京子6年で子連れ離婚
しかし、結婚生活は長く続かなかった。89年11月にひっそりと離婚。吉沢は4歳の子どもを連れて東京に引っ越した。離婚は翌年に発覚し、吉沢は「89年初め頃から、どちらともなく離婚を言い出し、話し合ってきました。離婚を決めた大きな原因は申し上げられません」とコメント。「嫁姑の確執では?」との問いには、「義母は一番の理解者」とキッパリ否定した。離婚を考えた時も姑に相談し、「京子ちゃんがそう思うのならそうしなさい」と返事をもらったという。
離婚を切り出してからカタがつくまでわずか2カ月。慰謝料はもらわず長男の養育費だけが一括して支払われた。
吉沢は「互いに育ってきた環境が違うせいか、すべてのことに対して価値観が違った。プラスチックと木の違いというか」とも語った。吉沢と親しくしていたテレビ局プロデューサーは「関西の上流階級の伝統を強く残している芦屋に入って、息苦しくなったのではないか」と理由を推測した。
もっとも、関西にレギュラー番組を持っていた吉沢。94年まで一時的に生活の拠点を再び芦屋に戻し、関西の銘菓「芦屋婦人」のイメージキャラクターを務めるなど、“芦屋”との関係はしばらく続いた。