アニソン帝王・水木一郎「世界一有名な日本人」までの道のり
水木の代表曲といわれる「マジンガーZ」の主題歌は日本で大ヒット。スペインでも同番組の人気はすさまじく、視聴率80%を記録。これも主題歌を歌った「宇宙海賊キャプテンハーロック」の視聴率もフランスで70%を記録したというからスゴイ話である。
水木が海外での盛り上がりを初めて実感したのは14年前。香港でのコンサートだったとか。
「日本だとアニメ雑誌くらいしか来ない記者会見にさまざまなメディアが大挙してやってきた。コンサートは水木の歌で育った世代で超満員。ANIKIコールで盛り上がり、日本語の大合唱が続いた。その後、パリ、シンガポール、上海、韓国、インドネシアなど7カ国9都市でコンサートを行ったが、どこも大盛況。今も海外からのオファーは凄まじい」(アニメ関係者)
ここに至るまでは決して順風満帆ではなかった。20歳で歌手デビューするも、芽が出ず。23歳の時、テレビアニメ「原始少年リュウ」の主題歌「原始少年リュウが行く」を歌ったことがきっかけで、アニソン歌手に転向。
「番組はもちろん、レコードにも出るのは名前だけ。写真すら載らなかった。漫画の歌として見下される日々を、持ち前の反骨心でうち破っていった。今やアニソンレコードセールス700万枚突破のギネスブックホルダーですからね」(音楽ライター)