<第4回>西早稲田の大隈重信邸に足しげく通う
大阪を離れるのを嫌がる広岡浅子を説き伏せたのは、娘の亀子だった。 浅子59歳の時、胸に腫瘍(乳がん)が見つかり、帝国大学医学部の近藤次繁の外科手術を受けるため上京した。手術は1909年1月に行われ、30分ほどかけて腫瘍が摘出されている。
退院後、浅子は「外国人のオシャレ…
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