解散と再結成で紆余曲折 よしおが今ものりおを立てるワケ
その頃、のりおは「横中バック・ケース」いうコンビで、「洋七君が相方探してる」て紹介してくれましたんや。柳次師匠に相談したら、「吉本の方が若手はノビノビやれる」て、背中押してくれはって、とくに問題もなく移れたのがまずラッキーやった。
2代目「B&B」? ウケたウケた、大ウケですわ。半年ほどで第4回NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞受賞。若手有望株! 言われましたんやから。ところが、洋七君とは方向性の違いがハッキリしてきた。しまいには京都花月で大ゲンカ。75年に入ってすぐに解散したんです。
で、ちょうどのりおも新しい相方を探しとった。運命ですわ、ホンマ。それですぐにコンビ結成です。そうこうしてるうちに80年4月からフジテレビさんでバラエティー「THE MANZAI」が始まってドッカーンと漫才ブームの到来。寝る暇ないぐらい大忙しやった。ここでまたまた「ところが」や。のりおは「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)のレギュラーになったりピンでの仕事が増えてな。「もっと冒険してみたい」と思うようになってきた。
■「やり直そか」と言われ再結成して助かった