病院から脱走 “ラグビー界の酒豪”大八木淳史さんの武勇伝
選手の酒は陽気。飲む時は左手と決まっていて右手で飲む時は一気飲みのルールがあったり、歌に合わせて脱ぐゲームをしたり。この時は翌日の夕方まで寝ずに飲み続けました。ひとりずつ脱落していって最後まで残ったのは日本人は僕だけやった。外国人はスコットランドのギャビン・ヘイスティングスとか。
飲むと大声になるのが癖。記憶をなくしたことも、もちろんあります。一番の失敗は社会人2年目の24歳の頃。日本代表の合宿で左足の前十字靱帯を切って、横浜市立港湾病院(現・市立みなと赤十字病院)に手術してリハビリするんで2カ月ぐらい入院しとったんです。
その時、ちょうど明大出身の2歳上の選手も後十字靱帯を切って入院中。2人ともケガはしているけど、元気やから病室の冷蔵庫でビールを冷やしてこっそり飲んでて、ある時、昼間に外へ飲みに出たんです。横浜ですから中華街に行って店に入って、ビール飲んで紹興酒を7本飲んで8本目を注文したら、店の人に「そんなに飲んだら料理の味がわからなくなるからこれ以上売れない」と断られた。それでも無理を言って10本ぐらい飲みました。