レイザーラモンHG住谷正樹さん<5>コンビ仲深めたプロレス
それでも、解散の話は一切なかった。06年からプロレス団体「ハッスル」に参加したことでコンビ仲が深まったのだ。
「大阪府立体育会館でレイザーラモン組対天龍・川田組の試合があって、2人とも死ぬんじゃないかってくらいボコボコにされました。でも、負けはしたんですが、学生時代を思い出し、終わったら抱き合って泣いていた。そこで気持ちが晴れました。ただ、09年にプロレス団体が大借金して倒産し、そこからまたデビュー当時の暗黒時代に戻ってしまった。僕も足を大けがして1年休業状態。プロレスのギャラも未払いで、バイトも出来ないから貯金を取り崩して生活していました」
その間、相方のRGさんが“あるある活動”をし始める。
休業後も、ピンの仕事が中心だったというが、大阪時代からの後輩の作家と当時のマネジャーの勧めで、漫才に取り組むことになる。
「13年にはプロレスも辞め、芸人一本に決めました。この頃、『THE MANZAI』の決勝に進出。次は『上方漫才大賞』を狙っています。漫才をやるようになってから、オール阪神・巨人師匠や中田カウス・ボタン師匠に『頑張ってるなあ』と声を掛けてもらえるようになった。21年目にして漫才師になったのかなと思うと感慨深いですね。いまも一発屋会のメンバーとはイベントをやったりもしていますし、楽しく仕事をしています。学生プロレスの経験でプロレスに関わることになりましたし、社会人時代の経験がおばちゃんへの好感度につながったり、新喜劇の経験でボケとツッコミの基本を学べました。すべて未来につながっていると思いますね」=おわり