生島ヒロシさんが振り返る 20歳で片道切符のアポなし渡米
アナウンサーとして独立して今年で30年ですけど、振り返ると13年目くらいにテレビの仕事がなくなってしまった時は、住宅ローンなどで数億の借金があった。子供はまだ小さいわ、自分が構えた事務所にスタッフはいるわで、「これからのフリーの人生はどうしたらいいのか」と。結構キツかったです。
でも、アメリカ時代の教訓として“諦めなければ何でもできる”と思いました。それが大きかったですね。追い詰められた時にいかに心を安定させるか、それが大切だと思います。
今やっているラジオ番組もおかげさまで20周年になります。今は事務所にいろんなタレントが入ってくれたので、今後はみなさんに活躍する場をつくっていきたい。これがひとつの目標です。僕自身も頑張りますよ。
(聞き手=松野大介)
▽いくしま・ひろし 1950年12月、宮城県出身。渡米し、カリフォルニア州立大学卒業後に帰国。76年にアナウンサーとしてTBS入社。89年退社しフリーアナに。「生島ヒロシのおはよう定食・一直線」(TBSラジオ)パーソナリティー。