生島ヒロシさんが振り返る 20歳で片道切符のアポなし渡米
その時には30ドルしか持ってない。当時で約1万円。知り合いの知り合いの人を訪ねようと考えてロスに行ったけど、お金はアッという間になくなるし、仕事はないし、英語はロクにできない。本当に路頭に迷った。「どうしよう……」と追い詰められ、人間ってつくづく弱いなと思いましたよ。
ただ、僕は空手をやっていたから、どうにか空手の先生のアシスタントに就けたんです。
■1年間で2000ドル貯めた
その後はアメリカ人のお金持ちの家に住み込みでメイドをしたり、園芸店で働いたり、皿洗いをしたり、ディズニーランドではタオルやシーツの片付けなどのハウスキーパーなどなど厳しい仕事も頑張りました。時給は日本円で450円くらいかな。1年間で2000ドル貯めました。
70年代前半にアメリカ人の生活を垣間見て「リッチだなぁ」とつくづく思いましたね。アパートというと、僕は3畳間を連想するけど、向こうのは共用のプール付き。「これがアパートか!」と驚きましたね。
バイトを3つくらいやりながら大学に通い、優秀な成績で卒業して、日本に帰ってきました。そしてTBSに入社し、アナウンサーに。アメリカでの最初の1カ月を思うと、追い詰められた時に開き直れたからよかった。その開き直りが今に結びついてるのかなと思います。