笑いで生きた師匠を笑いで…明石家さんまが会見しない理由
他にも、家にいた弟子が「出掛けるから黒い靴を出してくれ」と言われたので、下駄箱にあった4足の黒い靴を玄関に並べておいたら、やってきた松鶴師匠は「なんじゃこりゃ、黒いの言うんはコレのことじゃ」と白い靴を取り出し、それを平然と履いて出掛けたというエピソード。師匠の理不尽さというか、へそ曲がりぶりというか、いい意味で弟子に身をもってギャグを教える人柄を毒舌を交えて語っていたものだ。とりあえず、予定調和の「いい人でした」なんて話は出てこない。
笑いを取ることで生きてきた人を送る時に、やはり笑いでというのがその人にとっての供養になると、自然と感じているのだろう。
我々マスコミもまた、亡くなった芸能人の方々の訃報を伝える時、その人の活躍の歴史を振り返り、一番適した送り方を考える。役者だったら映画やドラマの名シーンを放送し、歌手だったらコンサートでの名曲、代表曲を時間の許す限り流したいと考え、その話題で番組を構成していく。それこそがマスコミが訃報を扱う意味であり、供養であると思う。
明石家さんまは、もう長い間、取材を受けることをしていない。冒頭のように、ステージや自分の番組では自然な形で自分のことも話をするが、それは笑いになるようにしっかり計算されている。大昔、離婚会見で額に「×」を書いて出てきてハチャメチャな話をしていたが、会見は途中で真面目な質問をされることがあり、シンミリとすることもある。
さんまと松之助師匠の間にもほろりとする逸話が多い。今回、さんまが舞台で師匠の笑いを取ったのは、話の腰を折られずに「笑い」で生きてきた師匠に「笑い」で供養をしたいという表れだろう。