ロケット団・三浦昌朗が明かす「死ぬしかない」と涙した夜
実力派漫才師・ロケット団。2人とも劇団時代には多額の借金を抱えたが、ボケの三浦昌朗さん(44)は「もう死ぬしかない」ところまで追いつめられた。その後、おぼん・こぼん師匠との出会いで人生が逆転したが……。
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■ガス・電気・水道の順にライフラインが止まった
高校まで山形で、大学から東京です。同級生に誘われてお笑いの劇団に入り、その同級生と劇団の中で漫才をやって、その相方と初めてコンビを組みました。
大学を卒業して、いったんは就職したけど、すぐに辞め、またコンビを復活。でも、1~2年やったところでモノにならないから、同級生が実家に帰っちゃって、僕はひとりに。仕方なくお笑いの劇団に戻りました。そこからは借金まみれです。
劇団員と組むけどうまくいかず、劇団の芝居に出てました。1週間の公演でも2カ月くらい稽古があるからバイトができません。友達にチケットが売れても、その日に生活費として使っちゃうから、芝居の最終日にノルマが払えず、借金がたまりまして……。消費者金融から借りて返して、生活費も必要だからまた借りて……というやりくりが続き、最高5社で200万円まで借金が膨れ上がりました。当時は大きい額が借りられる時代だったからか、感覚がマヒしちゃって。例えば、1社から50万円を借りて家賃で5万円使うと、残りの45万円が貯金のように思えたりしてパチンコやったり(笑い)。
ボロい木造アパートで夜寝てる時に「もう死ぬしかないな」と涙を流しました。ライフラインはガス・電気・水道の順番で止まってしまい、親に借りて払ったこともあります。もう親に借りられないと思った時は姉に泣きついて借りました。姉に「どうするの。死ぬしかないよ」と同じこと言われて。
今の相方(倉本剛)が遅れて劇団に入ってきてすぐ仲良くなりました。実は相方も同じ理由で借金が膨れ上がり、「このままじゃイカン!」と一緒に劇団を辞め、2人で漫才を始めました。2000年ですね。結局、債務整理しました。利子を余計に払っていたみたいで、過払い金が80万円戻った!