ロケット団・三浦昌朗が明かす「死ぬしかない」と涙した夜
「うちに来い」と拾ってくれたおぼん・こぼん師匠
転機はその後です。おぼん・こぼん師匠が若手を集めてライブをやる際、師匠のマネジャーが僕らを出してくれた。ライブに出た時、おぼん・こぼん師匠が「おまえら食えてるのか? よかったらうちの事務所に来ていいぞ」と拾ってくれた。それで弟子入りです。
それから「場数を踏んだ方がいい」と言われ、浅草などの寄席に出してもらえました。それが16年くらい前。寄席にまだナイツも出てなかった時代。僕ら以外はみなさんベテランの漫才師ばかりで同年代のライバルがいなかったから、重宝してもらいました。その時期に思い切ってバイトを辞めました。
ロケット団、ナイツ、Wコロンが「漫才協会の三羽烏」と呼ばれた頃は漫才で生活できるお金をもらえて驚きました。おぼん・こぼん師匠には感謝です!
今は劇場を中心に毎年700回くらい漫才の舞台に立っています。昼と夜や、劇場を掛け持ちする日も多い。漫才協会の理事にもなりました。漫才協会の師匠たちも高齢化してまして、耳が遠くてボケとツッコミがズレたり、ひとりが他界されて漫才から漫談になった方もいます。漫才協会なのに漫談ばかりになったりして(笑い)。僕らがこれから漫才協会を支えていきたいと思います。メディアにも出て、劇場にもっとお客さんを呼べるようになって恩返ししたいです。
(聞き手=松野大介)
▽みうら・まさあき 1974年7月、山形県山形市出身。98年に漫才コンビ・ロケット団結成。ボケ担当。2002年に漫才新人大賞、06年に浅草芸能大賞新人賞などを受賞。ネタ番組や寄席で活躍中。