青汁CMの“悪役商会”八名信夫さんは自主製作映画で復興支援
■「実際に飲んだら本当にまずかった(笑い)」
俳優になった足跡もユニークだ。甲子園こそ出場経験はないが、高校球児から明治大野球部で実力を蓄え、中退後の56年、スカウトされ東映フライヤーズ(現・日本ハム)へ。
「ところが3年目に試合中に腰を痛めて入院。そうしたら、当時の大川博オーナーから『選手としては契約しないから映画に出なさい』と社命が下り、撮影所行きさ。俳優の経験なんて全くないのに。アハハハ」
芸能デビューは58年。だがエキストラのような端役ばかり。まさにくすぶっていた。
「ある日、監督に『俺は体が大きいから、小さいヤツが撃たれるよりも迫力があるはずです』と直談判。すると『やってみろ』と。撃たれたら、トレンチコートの裾が広がるようにクルクル回るように倒れ込んだり、とにかく派手に死んだりしたのが好評でね。しかも、僕は運動神経がいいから刀を持った立ち回りの際に、主役がミスしても刀を止めることができた。それで高倉健さん、若山富三郎さんらの信頼を得て、どんどん仕事が増えたんだ」