「地獄の黙示録」ウィラードは1945年のマッカーサーか
有名なのはヘリの軍団が平和な村を襲う場面。従来の戦争映画と違って空と地上をひとつのフレームに写し込むカメラワーク、クラシック曲を響かせて殺戮(さつりく)する心理作戦の非情さが観客を圧倒した。サーフィンを楽しむために村を全滅させるとは、いかにもベトナム戦争らしい動機だ。
ラストのカーツ暗殺は公開当時「意味不明」の声があがり、筆者もよく分からない。ただ、10年後にビデオで見て「あれっ?」と思った。カーツを殺して階段を下りてくるウィラードが、45年8月に厚木基地でタラップから降り立ったマッカーサーに思えたのだ。ウィラードを迎えた部族民は新王を称えるように道を開け、次々と武器を放棄していく。一方、マッカーサーの到着で日本は武装解除し、国民から「マッカーサー様、日本の天皇になってください」との声も起きた。
本作が欧米人から見た原始と文明の出合いであるなら、天皇主権から国民主権に変質した日本人も西洋文明に頭を垂れたことになる。戦前の日本は未開部族だったのか。
(森田健司/日刊ゲンダイ)