元PRIDE格闘家・小路晃さん 引退後はリングから厨房へ
「怖くないか? そりゃあ怖いです」
さて、富山県魚津市生まれの小路さんが格闘技に目覚めたのは小学2年。アニメ「タイガーマスク」を見て「世界で一番強い男になりたい!」と柔道を始めた。中京大に進学後は、全日本学生体重別選手権でベスト8に入る実力者に成長。
そして95年にプロレス、96年に総合格闘技にそれぞれデビューを果たし、97年10月に旗揚げしたPRIDEに参戦。下馬評では圧倒的に不利とされながら、ブラジルのグレイシー一族のヘンゾ・グレイシーと対戦してドローに持ち込む快挙。試合後のリング上で「何がグレイシーじゃあ!」と雄たけびを上げたのは、今も語り草である。
その後も身長172センチ、体重88キロながらヘビー級選手を相手に互角以上の戦いで会場を沸かせた。
01年9月には、K―1グランプリで4回優勝している身長212センチのオランダの巨人、セーム・シュルト相手にレフェリーストップで敗れたものの、得意の寝技で随分苦しめた。
「怖くないか? そりゃあ怖いです。でも彼らの3倍以上トレーニングしてるから、それが自信になって立ち向かえるんです。もちろん、正面からぶつかったら力負けします。ならば、『柳に風戦法』。横から斜めからいなしつつ、押せば引く、引けば押す。一瞬の隙を狙う。勝機を待つのではなく、つくるんです」
小路さんが所属していた和術慧舟會は史上最強といわれる柔道家・木村政彦の流れをくみ、練習量の多さで知られる。その中でも小路さんはダントツだった。
08年から格闘技イベント「ハッスル」に参戦。10年には格闘技団体「SMASH(スマッシュ)」に所属し、各団体のリングで大暴れ。その一方で、格闘技コーチや審判として試合を裁くなど、格闘技一筋に歩んできた。
「引退を決めたのは、体力の限界! 身も心も腹いっぱいやり切りました」
現在はリングを厨房に移して、ラーメンと奮闘する傍ら、講演活動にも力を注いでいる。
プライベートでは12年4月に結婚。愛娘に恵まれ、富山市内に3人暮らしだ。
(取材・文=高鍬真之)