押しだしましょう子さん NHKや地方局を転々…お笑いは地獄
ただ、全然うまくできなくて……。ロケの生中継に行く日もあったのですが、広告を出すスーパーや百貨店の仕事なのに言わなきゃいけない宣伝の情報を忘れて、「カニカニカニ~!」とひたすら言い続けたりして。視聴者にはウケても上層部的にはダメで、パブリシティーものはやらせてもらえなくなりました。
月給は15万円くらいでしたけど、国保や年金とかいろいろ払い、しかも島根より家賃が高くて経済的には火の車。親から家賃を借りた時に「そんなの仕事じゃなくて道楽だ」と言われました。
1年でクビになり、地元の富山に帰り、ケーブルテレビのキャスターやキャバ嬢とかをやっていました。友達が「アナウンサーのスキルはないけど、中継を見てると面白いから芸人に向いてる。『R―1ぐらんぷり』に出てみなよ」と言ってくれて、1度出てみたら1回戦で負けちゃって。
■鳥取市役所では広報番組キャスターも
その後、鳥取市役所でキャスターを募集していたので、入りました。仕事はケーブルテレビでの市の広報番組のキャスターと企画と取材。市関連の行事の司会もやりました。なぜかその頃から司会で噛まなくなったんですよ! 長崎の頃は自分の名前でさえ噛んでいたのに、1万人入る会場での大きな式典で、全国から来た議員や偉い人の役職と名前を40人紹介した時も、1回も噛まなかった! 今までの経験のおかげなのか、テレビでも別人のように噛まなくなりました。