あたしと仙之助の名が呼ばれ小さん師匠と馬生師匠「はい」
当時落語協会会長だった小さんと、後の副会長の馬生と同じ本名だったとは、偶然にしても笑える。
「同じ盛夫なのを会長は覚えててくれて、1981年に小仙親方が亡くなった時、『おい、盛夫』と本名で呼ばれて。『親方は亡くなったけど、俺は応援するから、がんばれよ』と言われ、うれしくて感動して涙が出そうになり、顔が上げられませんでした」
人情家だった小さんらしい優しさである。
「親方に死なれて、これからは本当の意味での一本立ちだ。何か新しいことに挑もうと、1985年から紙切りの林家正楽(当時は一楽)さん、奇術の花島世津子さん、仙之助・仙三郎で、『四人の会』を結成して会を開きました」
寄席を会場に、色物の芸人だけで会をやるのは初めて。画期的な催しだったと記憶している。
「普段の寄席ではやらないことをやるという決まりでしたから、花笠5枚の組取りを、笠の代わりに瀬戸物の皿を使うことにした。わざと皿を包装紙に包んで紐で結わいたまま高座に出して、その紐を正楽さんにハサミで切ってもらった(笑い)。それが皿を投げて取るより受けました」