追悼・ 太田プロ磯野勉会長 品が良く温厚で堅実な立派な人
39年間所属していた事務所を昨年辞めてから1年ぶりに訪ねた。お世話になった会長が亡くなったからだ。太田プロダクションの創設者・磯野勉氏。教員になるところ体を壊し断念、新宿松竹文化演芸場の支配人となり、そこで女優だった現在の副社長と出会い・結婚。妻の旧姓を取って2人で「太田プロ」設立。てんぷくトリオもツービートもいた関東では一番古い芸能プロダクションである。
品が良く温厚で堅実な人柄は皆から慕われる立派な人だった。現在の社長(息子)がまだ高校生の頃、私はお正月も休みがなく働いていてどこにも行かれないので、朝からの生放送が終わると社長宅で飲んだくれ「この家の柱の1本分ぐらいは、私が稼いだおかげだろう」などとくだを巻き、コタツで酔いつぶれたりしていた。そんな時でも会長(当時社長)は、「うんうん、そーだね。ありがとうね」と穏やかでニコニコ受け止めてくれた。偲ばれる。
時期も時期なのでご葬儀は近親者だけでの密葬ということで、1週間後に事務所の会長の席に飾られていたお花と写真に手を合わせ、お別れをさせていただいた。慢性の肺炎だったがコロナのこともあったので早めに自宅療養にしたので感染もなく、最期も自宅のご自分のベッドで家族にみとられ逝ったそうだ。隔離され誰にもみとられず消毒した骨壺が配達されて玄関の地べたに置かれるのは、仕方ないとはいえとても悲しい。だから普通で良かった。私は20歳でデビューし約半年はフリーでドラマやお笑い番組に出演、秋から「オレたちひょうきん族」のレギュラーが決まり、ど素人の頭ではそろそろスケジュールの交通整理もいっぱいいっぱいだったところ、タイミングよく太田プロに誘っていただいて契約。契約と言っても当時は書類もなく、口約束だった。