ドラマより激しかった古関裕而と内山金子のリアルロマンス
■欧州留学をあきらめた本当の理由
古関は結局、欧州への留学はあきらめることにした。自身の旅費や滞在費はコンクールの主催者が運営する作曲家協会が出してくれることになっていたが、金子の分までは捻出できなかったのだ。作曲家協会の条件は5年以上の滞在。金子と5年も離れて暮らすことなど、古関には考えられなかった。まだ、顔も合わしていないにもかかわらずである。
文通を始めて3カ月の間に交わした手紙は百数十通にも及んだ。そして、2人はついに対面。そのまま、結婚してしまうのである。古関20歳、金子18歳の時だった。
結婚してからも、その熱愛はいつまでも冷めなかった。古関の愛妻ぶりを示すエピソードも数多く残されている。太平洋戦争中、金子は古関の生家がある福島に疎開していた。一方、古関はヒットメーカーとして東京に残らなければならなかった。
そんな時、金子が腸チフスにかかり昏睡状態に陥っているというニュースが古関に届く。汽車の切符を手に入れることすら困難な時代である。八方手を尽くして何とか福島まで戻った古関は疲れ切った体のまま、2度も金子に輸血。生死の境をさまよっていた金子はなんとか命をとりとめた。