「若鷺の歌」でタッグ 古関祐而と西條八十の海軍体験入隊
古関は西條とのコンビで、他にも戦時歌謡を何曲も手がけているが、2人にとって最悪の思い出となった曲もある。敗戦濃厚となった1945年2月に出した「比島決戦の歌」。読売新聞社と陸海軍が共催で、国民の士気鼓舞を狙って2人につくらせた曲だ。
それにしても、歌詞は西條の作とは思えないほど、ひどいものだった。1番から4番まで「いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ逆落とし」と繰り返すのである。当時の米陸軍トップはダグラス・マッカーサー、海軍トップはチェスター・ニミッツ。この2人を崖の上から真っ逆さまに突き落としてやると言っているのである。
戦争が終わると、新聞社は手のひら返し。<「比島決戦の歌」をつくった西條は戦犯として絞首刑になるやもしれぬ>と書き立てたのである。絞首刑になった時、口元がだらしないとみっともないと思った西條は、急いで歯の治療に通い始めたという。
歌詞の問題となった箇所は、実は西條が自分の考えで書いたものではなかった。元々は「レイテは地獄の三丁目 出てくりゃ地獄へ逆落とし」という歌詞だった。それを将校の一人が「敵将の名前を入れてくれ」と要求。西條も最初は抵抗していたが、将校の強硬姿勢に結局は折れるしかなかった。