「ほな、いくよ・くるよ書いたって」と楽屋に連れて行かれ
まだ新幹線に個室があった頃、超過密スケジュールで、東京まで一緒に乗り込んでネタを考え、テレビの収録が終わるとその足で横浜の営業先へ。その夜、またホテルで夜中までネタを考えて翌日、名古屋へ向かわれるまでの新幹線で新ネタを書き上げてお渡しするような、今では到底考えられないことも経験しました。いくよさんが亡くなられる前に一時期舞台へ復帰された際も「入院でおもしろいやつ1本書いてください」と言っておられた笑顔が今も忘れられません。
■衣装は東急ハンズ
10年目ぐらいからはくるよさんの“衣装作り”にも参加させていただき、お2人とデザイナーさんと4人で服地のお店ではなく東急ハンズなどを回って衣装にできそうなアイテムを探して歩きました。
とにかく、人が笑っている、喜んでいる姿を見るのが大好きなお2人ですから、番組の収録が終わると気心の知れたスタッフを引き連れて食事会へ。お2人とも食事の合間も「みんな食べてるか?」と自ら席を離れて、取り皿へ取り分けてくださったり、ビールをついだりと“超”のつく人気者なのにおごったところなど微塵もなく、いつも気を配っておられた姿が今でも思い出されます。
くるよさんはコロナ禍で今、舞台にこそ立たれていませんが、ラジオで元気にしゃべっておられます。