「ほな、いくよ・くるよ書いたって」と楽屋に連れて行かれ
女性漫才コンビとして、一時代を築かれた今いくよ・くるよさん。初めてお会いしたのは1985年の春。NHKで放送された「浪速・笑いの仕掛人」という番組の中で、オール阪神・巨人に付いている若手作家として出演し、同じ番組に出演していた吉本興業の大崎さん(現・会長)と偶然楽屋で会い「共演者や共演者や!」と声をかけていただいたのがきっかけでした。「阪神・巨人しか書かへんのん?」と聞かれ「どなたのでも書かせていただきます」と答えると「ほな、いくよ・くるよ書いたって」とそのままお2人の楽屋へ連れて行かれ「阪神・巨人書いてる本多君、いく・くるさんのも書きたい言うから書かせてみたってください」と紹介され、自己紹介もほどほどに「ほな内容は任せるさかい、とにかく1本書いてみて」と台本の発注をいただきました。
当時のいくよ・くるよさんは人気絶頂。駆け出しの作家がいきなり楽屋を訪ね、お話をさせていただくことだけでも奇跡のような出来事でした。このチャンスを逃すまいと2~3日で10枚ほど原稿を書いて楽屋へお訪ねすると「読んでみよか」と台本の読み合わせが始まり、読み終えるとお2人で「ええやんか! すぐ使えるやんか(原稿料)いくら?」と聞かれ、当時もらっていたテレビの原稿料をお伝えすると「ほなとりあえずこれでかまへん?」と倍以上の原稿料をいただきました。それ以降、懐が寂しくなると依頼もされていないのにネタを書いては持って行き「頼んでへんで? なんか物入りかいな?」と笑いながら全部買い取ってくださり、我が家の家計もかなり助けていただきました。