夜の銀座はクラブ「姫」の時代 作詞家・山口洋子の始まり
一方「おそめ」と人気を二分した「エスポワール」のママ、川辺るみ子に対しては、なかなか辛辣である。
《新参者の私が敬意を表して先に一礼して顔をあげると、牡丹の花みたいに艶やかな嘲笑が、あなたの身分でよくこんな席へ出てこられたわねという目くばせになって、尊大に頷いていた。(中略)たかだか酒場の女主人じゃないか。そちら様は看板を売るのが生き甲斐かもしれないけれど、私にとってのマダムの地位は生活の手段というだけだ》(同)
銀座の旧来の慣習を崩した「姫」とマダムの洋子は、同業者にとっては招かれざる客だった。しかし、20代や30代の若い客にとって、慣習もしきたりもなんの関係もなかった。古株の客もいなければママとも気安く付き合える。その上、ホステスは若くて軽くて美人。何も言うことはない。彼らは40代、50代になっても「姫」に通った。「姫」の時代が長く続いた理由はそこにあった。
のちにパートナーとなる野口修との共通点も同じようなものだったのかもしれない。というのも、彼もほぼ同じ時期に、ボクシング界の旧態依然とした慣習を打破しようと、タイ人ボクサーの導入や、チケットのプレイガイドの有効活用、新たなイベントの実施等々、ボクシング興行に新風を吹かせていた。古い世代のプロモーターとの対立は日常茶飯事で跳ね上がりの野口修は、何くれとなく煙たがられていた。山口洋子と置かれた立場は同じだったのだ。とはいえ、この時期2人はまだ出会っていない。