「竜とそばかすの姫」が興収24億円!「美女と野獣」オマージュの強さとモヤモヤ感
7月16日に公開された細田守監督の最新作『竜とそばかすの姫』は、これまでに観客数169万人を動員、興行収入24億円を突破した。
主人公の17歳の少女すずは、歌や音楽の楽しさを教えてくれた母を亡くしてからというもの歌うことがトラウマになり、性格も引っ込み思案になってしまった。そんなすずは、インターネット上の仮想空間<U(ユー)>に自分の分身・歌姫「Bell(ベル)」という名前で登録。美しいアバターの姿で歌うことに成功し、翌日になるとフォロワーが3000万人になっていた。
世界的に有名になるBellだが、ある日<U>で嫌われている竜と出会い、Bellは竜の痛みを理解しようと心を通わせる、というストーリーだ。
筆者も公開早々観てきたが、ネットでは極端に賛否が分かれている。元々、細田守監督の作品は賛否が分かれやすい印象があったが、今作は前作「ミライのミライ」よりは良作だが、「サマーウォーズ」は越えられないというのが率直な感想だ。
■映画館で観ないともったいない圧巻のライブシーン
今回ポジティブな感想として多く挙がっているのが、映像と音楽の素晴らしさ。正直、これは映画館で観ないともったいない思うレベルの圧巻の仕上がりだった。
逆に言うと映画館で観ないと価値が見出せないほど、"ライブシーン"に重きを置いているとも感じたし、圧巻のライブシーンがあるからこそ日常シーンとの対比がうまく出ているとも感じた。
しかし、すでにネット上でも多く指摘されているようにディズニー映画「美女と野獣」を彷彿とさせるセリフや構図、演出など、ここまで他作品の要素が強くて大丈夫なのか? とハラハラするくらいオマージュが強すぎた。
細田守監督も「僕は『美女と野獣』がすごく好きで、特に1991年のディズニー版が大好きなんです」とパンフレットで述べているので、もちろん意図的なオマージュであることは理解できるが、あそこまでのオマージュが本当に必要だったのだろうか。
ファンタジーに頼りすぎた脚本
そして最も指摘が多く上がっていたのが、"脚本"である。細田守監督の名を一気に世に知らしめた「時をかける少女」「サマーウォーズ」をはじめ、「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」には奥寺佐渡子氏が脚本家として名を連ねているが、それ以降の「ミライのミライ」、今作「竜とそばかすの姫」の脚本は細田守監督だ。
前作の「ミライのミライ」で見られたような、疑問や矛盾が回収されない展開が今作の脚本でも見受けられた。
描きたいテーマや場面が先にあって、そこに沿う形でキャラクターが動かされているような瞬間も多々あり、それがストーリーに対する疑問や齟齬が生まれる原因となっていたように思う。
あまりにもファンタジーに頼りすぎた脚本ゆえに、視聴者が感じた疑問がそのままにされ、物語が進むほどに齟齬が生まれていき、最終的にはそこら辺が回収されないまま綺麗にまとまった感じで終わってしまった印象が強い。
ファンタジーを描くことが悪ではないが、ストーリーの中でキャラクターの心情のリアルさなど、共感する過程があってこそ作品が"ファンタジーであることの意義"が生まれてくると筆者は感じている。
とはいえ、たった一人の「竜」に向けて、歌うシーンでは思わず涙が溢れた。音楽の力というよりも、ネット上での誹謗中傷に対し、ありのままの姿で届けようとするから届くのだという力強いメッセージ性も感じた。
細田守監督は元々、ネットの世界について肯定的なコメントを多く残していたが、もしかしたら「顔も知らない、ネットの世界でしか知らない人でもリアルに自分を救ってくれる」というネットに対するポジティブなメッセージを送りたかったのかもしれないし、それを今作で描く意義も十二分にあるだろう。
ただ、鑑賞後に"結局何も解決していないのではないか?"とモヤモヤが残ったのもまた事実だ。その明確な答えを提示しないスタンスが細田守監督の魅力の一つでもあるが、魅力的と思うかどうかは、見る側の好みに左右される。よって、そこがいわゆる細田守監督作品の賛否へと繋がるのだろう。
細田守監督3年ぶりの最新作「竜とそばかすの姫」は、東京五輪の熱狂の中でも観客動員数を伸ばしそうだ。
(文=都咲響/サブカルソムリエ)