飯野矢住代誕生秘話<3>「私は二号の娘」発言で世界大会の渡航費が支払われない事態に
「合宿生活の門限(午後10時)を破ったのは、かつみやったな。あいつが外泊するようになってから、合宿生活の規則がなんやめちゃくちゃになりよった。あいつが帰らへん時、オレたちで新宿へ探しに行ったことがあったやないか。飯野矢住代や。(中略)たしかに合宿生活の規則にしばられるのはノンビリせんけど。でも、オレらにあの当時の合宿生活がなかったら、ほんまにタイガースも人気でえへんかったかもしれんな」(同)
■メンバーには交際が歓迎されなかった
当の加橋かつみはというと「彼女と話しているとりとめもない話が、リズムを生み、メロディーとなって流れて出てくることがよくあった。(中略)楽しかった。いろいろなことが。ぼくの中に新しい世界が出来た」(同)と振り返る。淡くも楽しい思い出に昇華していたが、メンバーに交際が歓迎されなかったのは明らかだった。渡航費が集まらなかったのも、この辺りの事情にあると見ていい。
見かねた知人が「いい人がいる」と矢住代に紹介したのが山口洋子だった。山口洋子自身は、飯野矢住代を紹介されたときのことをこう書いている。