<10>立川談志没後10年「うちの師匠は希代の落語家だったと思います」
落語芸術協会の理事で、以前この欄に登場した桂竹丸は、談幸の入会を歓迎しているひとりだ。「寄席の大きな戦力になってます」と喜んでいる。
落語芸術協会の顔付け(寄席の出番表)の中に、立川流と5代目円楽一門会の枠ができた。それによって立川談之助や当代三遊亭円楽が寄席に出ている。談幸が道を開いたと言っても過言ではない。
「トリの落語家が両団体の出演者を決められるので、竹丸さんなんかは、よく立川流の若手を出してくれてますね」
八月下席、浅草演芸ホールの竹丸がトリの際、立川談笑の弟子の吉笑が出演した。立川流の一員である談志の孫弟子が寄席に出られるようになったのだ。おまけに、談幸が芸協に入会して以後、弟子が増えて、現在見習いを含めて5人になった。
「これで吉幸に弟子ができたら、寄席に立川流が確実に根を下ろすわけです。芸協に入ってよかったと、つくづく思いますね」
談幸にとって、寄席は帰るべき場所であったのだ。
「コロナ禍で寄席経営が苦しいとなると、落語家たちが協会の壁を超えてクラウドファンディングを立ち上げ、1億円集まった。日本人には、寄席に対する思い入れがある、寄席の価値を見いだしてくれたんだなあと思いますね」