「愛子さま人気」過熱の一方で秋篠宮家に批判集中…世論の移ろいは正しいのか
徳仁皇太子が小和田雅子さんと納采の儀を行ったのは1993(平成5)年。コウノトリはなかなか舞い降りてくれず、2001年にようやく愛子さまが誕生した。しかし、雅子さまは帯状疱疹を発症し、03年ごろから宮中祭祀や公務を休むようになった。そしてこの2年後に「適応障害」と発表される。原因は今もはっきりしないが、あまりにも環境が違う宮中に慣れず、日嗣御子(皇位継承者)を産まなければならないというプレッシャーから、生きる目標を失ったのではないかといわれた。
ただ、当時はほとんどの人が「適応障害」がどういう病か理解していなかったから、元気な一面を見て「公務をずる休みしている」「ワガママだ!」と批判を受けた。さらに愛子さまが不登校になり、学習院の「校外学習」に雅子さまが付き添う形で同行すると「税金を使って!」と批判される始末だった。
愛子さまも激ヤセされるなど、この頃の皇太子家の評価は最悪だった。
皇太子が「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言したのは04年である。その後、秋篠宮さまが誕生日に「せめて陛下とその内容について話をして、その上で話をするべきではなかったか」と皇太子に苦言を呈するような発言をして秋篠宮さまの評価が一段と上がった。