兄弟分の寺尾聰のライヴに行ってきやした! アタクシも唄わされたのでありますヨ
我、兄弟分、寺尾聰のライヴに行ってきやした。可哀相に皆サン、何か呑むとマスク、何か食すとマスク、まあ仕方ありませんがネ。日曜のせいなのか、久し振りの六本木、街は変らず賑わってましたな。アタシなんざ六本木に来るなんてのは何年振りですかネー。寺尾聰、御存知新劇界の重鎮・宇野重吉大先生の子息でありやして、遠い昔グループサウンズと云うのが、世間を凌駕してた頃、ザ・サベージのバンド名で活躍して、ブームが去って暫くしたら、役者で活躍。アタシは出会ってまあ三十年程ですかな、最初っからウマが合うというか、お互い気安くできやしてネ。何と云いましても、テキは宇野先生の御曹子。こちとらドコの馬の骨とも分らん身、だからゆえに良かったというか、気が合ったんですかネー。
シカシ良いもんですよ、この男の万事ノホホンとしてるトコロがですネ。アタシのように、コセコセしたトコロがない。仕事の暇な時は、と云いますか無い頃、我々の業界じゃ当り前の事なんですがネ、当時奴サン神奈川は茅ケ崎に住んでましてネ、毎日のように浜に出てボーッとしてたと。で京都の撮影所で久し振りに会って、こっちは仕事中、奴サンはマットだか椅子だかを持って、今日は撮休だから、屋上で体でも焼いてボーッとしてるわだと。こういうトコロがボンボンたる所以。アタシなんかだと、とても仕事の合間に、そんな日焼けをしようなんぞと思えない。